もののけ姫 ジブリ

【生きろ。そなたは美しい】もののけ姫名言11選。辛い時に勇気の出るセリフを紹介

2025年11月11日

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言わずもがな名言が多い『もののけ姫』

今回はその中でも、「辛い時に勇気の出るセリフ」を個人的にピックアップしましたので、紹介します。(※順不同です)

『もののけ姫』をもう一度観たい方は、こちらもどうぞ。

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生きろ。そなたは美しい

引用:スタジオジブリ

まずは、個人的にもすごく印象的で、大好きなセリフのひとつ。

タタラ場襲撃を邪魔され激昂したサンに向け、瀕死のアシタカがかけた言葉です。

このセリフは、サンの見た目を称賛した言葉ではなく「サンという存在そのものを肯定したセリフ」だと、個人的には解釈しています。

山犬でも人間でもなく、自分のアイデンティティーが不安定なサンは、今でいう「自己肯定感が低い状態」に近いかもしれません。

公式によると、サンは自分を「醜い存在」と考え、自分の生い立ちに悩んでいたのだとか。▼

自分という存在を受け入れられなかったサンにとって、「美しい」といわれたことは、まさに飛び退くほどに衝撃だったんでしょう。

そのあと分かりやすくサン→アシタカの態度がやわらいでいるのを見ても、アシタカの言葉はきっとサンの心に響いたに違いありません。

表層だけを掬われてめちゃめちゃ誤解されがちなセリフですが、これは

  • 情熱的な愛の告白 でもなく、
  • サンの見た目を褒めちぎった軟派なもの でもないんです。

(事実サンが美少女だから、誤解を招いてると思うんです。)

ネットでは対義語として「ブスは●ね」が物議を醸したことがあるみたいですが、アシタカは仮にサンが美少女でなかったとしても、「美しい」と言ってくれていると思います。

なぜなら、これは「君が君でいることが尊い」という、ありのままの存在を認める言葉だから。

お前には、あの若者と生きる道もあるのだが……

引用:スタジオジブリ

死を覚悟して人間たちとの戦いに挑もうとするサンに、モロがかけた言葉。

アシタカには突っぱねるようなことを言いながら、サンには「アシタカと生きる道もある」と、モロは言うのです。

これは「ひとつの道に固執することなく、自由に生き方を選んでいい」という、母親としての愛情を感じる言葉だとわたしは解釈しました。

アニメーションで観ると、モロの慈しみ深い眼差しや、サンが子供として甘えを見せているのも感じられますよね。

モロは赤ん坊のサンを引き取った時から、サンがいつか人間としても生きられるよう「人間として」育てたという説があります。

詳しくは、下記の記事でまとめてるので、よかったら覗いてみてね。

【もののけ姫】サンはなぜ捨てられた?母親=エボシ説否定の根拠3つ

好きなところへ行き、好きに生きな

石火矢に撃たれ重傷を負ったアシタカを心配するヤックルに、サンがかけた言葉です。

サンは、ヤックルに付けられていた手綱を外し「好きに生きな」と言いました。

「誰かに決められた生き方ではなく、自分で選んだ、自分の道を進んでいい」というような意図かと思います。

しかしヤックルはアシタカの側を離れることなく、ずっと彼を見守っていました。

ヤックルにとってアシタカの側にいることは、命令されて嫌々ではなく自分で望んで選んだ道なんです。

生きることは、まことに苦しく辛い。世を呪い人を呪い、それでも生きたい。

タタラ場の病者の長が、アシタカにかけた言葉。

このシーンでのアシタカは、

  • 呪われた原因がエボシであること(呪いのせいでアシタカはすべてを失っている)
  • それを知った上で、エボシに止まるつもりがないこと

を目の当たりにし、抑えがたい怒りに震えていました。

ともすれば呪いの力に任せてエボシを害してしまうそうな空気を察し、すでに末期状態の長が、途切れ途切れにアシタカに訴えるのです。

「辛い時に勇気の出る」……というと不謹慎かもしれませんが、

  • どんな苦しく辛い状況にあっても「生きたい」と望むこと
  • 自分が苦しい時に、つい、誰かや何かを恨んでしまうこと

は、ある意味「人間らしさ」のようなもので、誰もが少なからず持っている感情なのかなと感じるんです。

絵コンテによれば、長は「発病するまでは、名のある僧だった」とのこと。

そんな高尚な人物でさえ、苦しみや怒りに呑まれ自分に失望してしまいそうになることを思うと、「つい誰かを恨んでしまう自分も、仕方ない」と、すこしだけ許せる気もするんです。

もちろん、むやみやたらと誰かを恨みまくるのは違いますが、自分がどん底にある時でも「それでも、精一杯やってみよう」「今、自分はどうしようもなく人間らしい」と思わせてくれるセリフだと、感じます。

退くも勇気だ!

たったひとりでタタラ場を襲撃し、今まさに火中に飛び込まんとするサンを引き留めようとする、アシタカのセリフです。

こちらの方もポストしていらっしゃいますが、まさにその通り「ちゃんと引けることは強い」と思えるセリフだとわたしも思います。▼

立ち向かう強さも重要ですが、時には引くことも大切

特にこのシーンは、石火矢衆が何人もサンに狙いをつけて、タタラ場全体が「もののけ姫を討ち取ろう」といきり立っているところでした。

勇ましく立ち向かっても、その先にあるのは死……、という場面なので、説得力がありますね。

ものすごい話が逸れますが、日本の歴史が大きく動いた「幕末」(江戸時代末期)にも、退く勇気を持った志士がいました。「逃げの小五郎」と不名誉なあだ名で呼ばれながらも最後まで生き抜き、大業を成し遂げた人物です。

彼のエピソードを知っていると、アシタカの「退くも勇気だ」に、より説得力を感じるようにわたしは思うんです。

(詳しくはこちら>>萩市観光協会公式サイト「木戸孝允」

賢しらに僅かな不運を見せびらかすな

タタラ場でサンとエボシの一騎打ちを止めたアシタカが、群衆に向かい毅然として訴えるシーンでのセリフ。

綺麗ごとを言うアシタカに対し、エボシが言い放った言葉です。

「賢しら(さかしら)」って言葉がまずかっこいいですよね……!

エボシ様の語彙力に感服ですが、意味はこんな感じだそうです。▼

  1. りこうぶること。こざかしいこと。
  2. おせっかい。差し出がましいこと。
  3. (人を陥れるための)告げ口。密告。

引用:学研全訳古語辞典

文脈からすると、「①の利口ぶること、小賢しいこと」が一番近いのかな。

『もののけ姫』作中では明かされませんが、実はエボシには壮絶な半生があって、今の彼女があるのです。

エボシは辛い過去について一切語ることなく、それを言い訳にすることもなく、自分の力で人生を切り開いてきました。

不幸を盾にしているかのように見えるアシタカに、我慢ならない怒りや苛立ちが表れたのが、このセリフだそう。

わたしはつい、「自分が今立ち止まってしまってるのは、こんな辛いことを言われたからだ、されたからだ」と言い訳にしてしまいがちなのですが、「それではいけない」と思い直させてくれるようです。

「自分にはこんな不幸があった・こんなハンデがある」と免罪符のように振りかざすのではなく、「不運があっても、強く乗り越えていける・いくべきだ」ということを、改めて考えさせられるセリフだと感じます。

(ただ、困っている時には、お互い助け合いの精神を持ちたいですね。)

生きてりゃなんとかなる!

首を探して彷徨うデイダラボッチから逃げる時の、おトキのセリフ。

何人もがバタバタと犠牲になり、さらにタタラ場が崩壊していく様を見た甲六が「もう終わりだ」と悲観するのを奮い立たせるセリフでしたが、なんだか他人事とは思えない言葉に感じるんです。

わたしはどっちかというとマイナス思考に傾きやすいタイプで、それこそ「もう駄目だ」と凹みやすいんですが、このおトキさんのセリフを思い出すと「まだまだ終わりじゃない。踏ん張ろう!」という気持ちになれます。

いやぁーまいったまいった。バカには勝てん

『もののけ姫』ラストを締めくくるセリフであり、「どんな時も自分を信じて、精一杯やろう」という気にさせてくれる、ジコ坊のセリフです。

ジコ坊の意図としては「最後には、誠実にまっすぐ生きたやつが勝つ」と、アシタカを称賛するものです。

(こちらでも解説しています>>【もののけ姫】下駄のおじさんの名前は?セリフや正体、目的は?最後の考察も

ジコ坊といえば、目的の為なら冷酷にも狡猾にもなれる仕事人で、アシタカとは正反対ともいえるタイプ。

作中では器用に立ち回りますが、エボシや乙事主を利用したり、アシタカに不意打ちをしかけたりと、汚い手段もお構いなし。

しかし最後は、アシタカがいなければジコ坊は助かることができなかったのです。

個人的に、「正直者がバカを見る」という言葉もあって落ち込むこともありますが、「正直に、誠実に、まっすぐに生きる」ことが、最後には自分を助けてくれると、自信を持てるセリフです。

黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか

引用:スタジオジブリ

ここからは、「辛い時に勇気の出るセリフ」の縛りを外して、シンプルに名言だと思うものを集めました。

まずはどうしても外せなかった、モロを代表する名セリフ。

声優・美輪明宏さんの演技の迫力も合わせて、『もののけ姫』の中でも1,2を争う名言だと思います。

ここのモロのセリフはもう少し続いていて、全体のセリフはこうです。▼

黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか!?森を侵した人間が、わが牙を逃れるため、投げて寄越した赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれん、哀れで醜い、可愛いわが娘だ。お前にサンが救えるか!?

ここのモロは、要は「娘の彼氏がやってきた状況」らしくて、アシタカを試す部分もあったのだとか。

モロは、本来育てる義理のない人間の赤ん坊を引き取り、「人間の文化」まで教え、大切にサンを育ててきました。

(詳しくはこちら>>【もののけ姫】サンはなぜ捨てられた?母親=エボシ説否定の根拠3つ

サンが人間である以上、本来なら人間として生きることが一番自然な形。

ですがどんなに愛していても、モロはサンに「人間として生きる道」を簡単に与えてやることはできません。

モロ自身は山犬の神であり、憎む人間たちに娘を託すこともできないからです。

そんな中で現れたアシタカに、サンを任せられるかを試していた…という背景も考えると、さらに味わい深く感じるセリフだと思いませんか?

天地(あまつち)の間にあるもの全てを欲するは人の業というものだ

シシ神の首を還せと説得するアシタカに、逆にジコ坊が説き伏せようとしてくるセリフ。

今回の記事で名セリフを集めていても感じたことですが、『もののけ姫』って人間の綺麗なところばかりじゃなく、汚いところとか嫌な部分もひっくるめて「在る」ところが素晴らしい。

ジコ坊も仕事が絡まないところでなら、アシタカに助けられた恩を律儀に返そうとしたり、アシタカの無事を安堵したりもするのですが、このセリフなんかは特に「人間の欲深さ」とか傲慢「ずる賢さ」が感じられますよね。

とはいえ人間の業として、誰しも少なからず持っているのも確か。

人間としてのネガティブを無視するのではなく、認め受け入れ、コントロールして生きることが大切なのかも……

考えさせられるセリフのひとつだと思います。

あと、ジコ坊のセリフはリズミカルで、つい口ずさみたくなるのも好きなんですよ。(笑)

これも好きです。▼

戦、行き倒れ、病に飢え…。人界は死んだ亡者でひしめいとる。タタリというなら…この世はタタリそのもの。

>>ジコ坊のセリフ

それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。

引用:スタジオジブリ

作中における、アシタカの最後のセリフ。

どうしても人間を許すことができないと今の結論を出したサンに、アシタカが返す言葉です。

それまでのアシタカは「人間であるサンは、人間の里で暮らすのが幸せだ」との考えを持っていたように見えますが、最後にはサンの生き方を受け入れ、その上で「共に生きよう」と伝えました。

相手を尊重し、どのようにするのがお互い気持ちよく暮らせるのかを考えていくことが、「共存する」ことなのかもしれませんね。

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