もののけ姫 ジブリ

【もののけ姫】サンはなぜ捨てられた?母親=エボシ説否定の根拠3つ

2023年7月14日

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  • サンはなぜ、親から捨てられたの?
  • サンの母親は誰?
  • サンの母親はエボシって本当?

この記事では、このような疑問について考えていきます。

こんな方におすすめ

  • なぜサンは親から捨てられたのか/山犬として森で生きるのか、知りたい方
  • 『もののけ姫』をもう少し深く突き詰めたい方
  • 母親=エボシ説に疑問をもつ方

『もののけ姫』好きのわたしが、登場人物の【台詞】【表情】【行動】を元に、ちょっと引かれそうなところまで深掘り考察しました。

あくまで一個人の考えなので、これが真実というわけではありません。

そこだけ一点、ご理解の上お進みくださいね。

この記事を書いた人

超のつくジブリ好き。

中でも『もののけ姫』は特に好きな作品で、台詞の再現もたぶん余裕でできます。サンは最推し。

考察も好きで、他の方々の考察もそれなりに拝見してきました。

その上で「わたしはこう思う」をまとめています。

「ジブリってサブスクとかで観れないの?」
日本のサブスクでは、残念ながらジブリは観れないんです

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もののけ姫のサンは、なぜ捨てられたのか?

引用:スタジオジブリ

サンは、

モロから逃げる時の身代わりにされた

ために、実の親から捨てられています。

これは物語中盤、アシタカと話すモロの一瞬の台詞から分かります。

有名な「黙れ小僧!」の場面ですね。▼

引用:スタジオジブリ

「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか!?森を侵した人間が、我が牙から逃れるため、投げて寄越した赤子がサンだ!」

回想場面はなく、モロから語られるのもこの数秒の、たった一文だけです。

実の親について詳しいことは謎のまま、他に気にすべき大きな問題の前に忘れ去られてしまいます。

ですが、『もののけ姫』好き、ことサン推しには気になるところですよね。

この項では、サンがなぜ捨てられたのかを深掘りし、親の人物像や、サンを育てたモロの意図などを考察していきます。

以降、わたくし佐倉の考察を含みます。

あくまで一個人の考えなので、「これが真実か!」でなく「ははあ、そう考える人もいるのか」ぐらいの気楽な感じで見てくださいね。


サンが捨てられた時の状況を考察【投げて寄越された赤子】

「捨てられた」とひと言でいっても、いろんな状況が考えられます。

  • 親から愛されていたが、泣く泣く手放された
  • 親から何とも思われず、物のように投げ渡された

サンの場合、残念ながら後者の

親から何とも思われておらず、物のように投げ渡された

状況だったと考えられるでしょう。

根拠はやはり、先ほどのモロの台詞。

「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか!?森を侵した人間が、我が牙から逃れるため、投げて寄越した赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれん、哀れで醜い、可愛い、我が娘だ。」

美輪さんの演技が光りまくる、モロの名場面のひとつです。


注目すべきは「あの娘の不幸」「投げて寄越した」というところ。

「あの娘の不幸」は、「人間でも山犬でもない」ことに加え、「親から投げて寄越された」ことにもかかっていると推測します。

そもそもモロは、森を侵した人間に対し「赤子を生贄をささげれば許してやる」なんてたぶん言わないですよね。

このことから「泣く泣く差し出された」のではなく、「物のように投げ渡された」「粗雑に放り投げられた」様子がうかがえます。

少なくともモロの目には「身勝手な人間が、我が子の命すら軽んじて道具にした」と映ったのでしょうね…。

サンの親が娘を捨てたわけ【実の親の人物像考察】

なぜサンの親が赤子だった娘を捨てたのか、もう少し深掘りしてみましょう。

サンの親は、何らかの理由でシシ神の森に入り込み、犬神・モロのきみと対峙します。

そしてモロの驚異から逃れるため、娘であるサンを身代わりに投げ渡しました。娘の命より、我が命を優先したわけですね。…

しかし、そもそもなぜサンの親は、まだ赤子のサンを連れて森に入ったのでしょう?

わたしは、始めからこの親は

モロのような古い神に襲われた時の身代わりとして、赤子を連れて行ったのではないか

と考えています。恐ろしい話ですが…。

なぜそう考えるのか、理由をお伝えしていきます。

シシ神の森といえば作中でも何度か登場する重要な舞台ですが、赤子を連れていくような、のどかな森ではないですよね。


ということはサンの親は、

  1. やむを得ず赤子を連れる必要があった
  2. 何か意図をもって、あえて赤子を連れていった

ことが考えられます。

さらに考察の手がかりとして、モロの言う「森を侵した」も気になりますね。

ここでひとつ思い出していただきたいのは、アシタカが最初にシシ神の森を訪れ、サンやモロたちと出会った時の場面です。


引用:スタジオジブリ

場面のおさらい

アシタカはジコ坊の助言を得て、シシ神の森へ辿り着きます。

そこでタタラ場の甲六らを助けたアシタカは、川の向こうに大きな山犬たちを確認。これがモロたちです。

モロは当然アシタカに気づきましたが、威嚇し睨みつけただけで、何もせずその場を立ち去りました。

この時、アシタカは姿を現しハッキリと名乗り上げたにも関わらず、モロはあっさり見逃すのです。

つまり、モロは人間とみれば問答無用に襲い掛かるのではなく、アシタカのように森にとって無害と判断すれば、襲うことはないと分かります

「エボシに撃たれてそれどころじゃなかったのでは?」

と思うかもですが、別にサンたちに襲わせたって良かったのですから、モロは確かな意思で見逃したと考えていいでしょう。

逆にサンの親は、引越しか何かで森を通ったのではなく、森を侵す=伐採もしくは神ごろしの目的があったために、モロの牙から逃げる必要があったと想像できます。

そこにわざわざ赤子を連れる理由は何か。

と考えた時、「古い神に襲われた時の身代わりとして、あえて赤子を連れて行った」可能性は考えられないでしょうか?

こう考えると、モロが見た「サンを捨てた人間」は、もしかしたら親ではなく「人買い」のたぐいだったかもしれません。

いずれにしろ、サンの親は自分が助かるためなら赤子の命も惜しいと思わない、非情な人間だといえるでしょう。

サンの親はタタラ場から来た人間?

後述するエボシの話にも繋がりますが、この親は

タタラ場「以外」から来た人間

だとわたしは思っています。

身内に対しあれだけ情の深いエボシが、赤子を身代わりにさせるとは考えられません。

タタラ場とは無関係の人間だったと考えるべきでしょう。

「森の怒りを鎮めるための」生贄であったという意見も、わたしは違うかなと思っています。

もし慣習として生贄を捧げ続けていたのなら、モロはサンの他にも、人間の子どもを何人も育てているはずです。

またエボシは近代的な思考をもつ女性で、「自然/神々の怒り」や「タタリ神の呪い」もいたって冷静に、現実的にみていました。

「生贄をささげれば神々の怒りは静まる」と考えるような女性ではありませんよね。

これらのことから、サンの親はタタラ場とは関係ない、それ以外からやってきた人間だと考えられるでしょう。

サンを捨てた親の人物像考察

上記のことをまとめると、サンの実の親の人物像は

  • 森を侵す、モロたちにとっての敵
  • 自分が助かるためなら赤子の命も惜しいと思わない、非情な人間

ということが想像できます。

ちなみにですが…この親が、果たして無事に森を抜けられたかは微妙ですよね。

みすみすモロがこの手の人間を逃すとも考えにくいです。

サンが山犬として育ったのはなぜ?【背景】【理由】

親から捨てられたサンは山犬として育てられ、「もののけ姫」となりました。

その背景と理由について、考えてみましょう。

サンはなぜ山犬として育てられ「もののけ姫」となったのか


引用:スタジオジブリ

サンが捨てられたのは、親にモロから逃げるための身代わりにされたからでした。

しかしなぜ、モロは投げて寄越された人間の赤子をわが子として育てたのでしょう?

ファン考察にも色々なものがありますが、わたしが推すのは次の説です。

すでに母親だったモロが、捨てられた子を哀れに思ったから

モロといえば、『もののけ姫』作中では終始人間と対立し、人間にひどく憎しみを抱いた犬神ですね。

人間の赤子なんてさっさと食ってしまっても良かったのに、モロは赤子を引き取って育て立派な山犬一族の娘にしています。

モロは、森を侵略し支配しようとする人間には激しい敵意を持って迎えうちますが、そうでない人間や身内に対しては、深い情を持って接しています。

  • シシ神の森で最初に出会ったアシタカを生かしたままにした
  • 敵意をあらわにする猪神たちから、サンを守った
  • 乙事主の無謀な戦いをいさめた
  • エボシらとの戦の最中、乙事主の目になりに行く(=今生の別れ)と言うサンの意思を認めた上で「アシタカと生きる道もある」と示した
  • 実の子である山犬たちを、タタリ神(乙事主)に挑ませなかった
  • 自身の命が残り僅かであるにも関わらずタタリ神に立ち向かい、サンを取り返した
  • サンを救うため、アシタカに託した

執念深く人間たちをころそうとする一方、母親や一族の長としての情の深さは、モロの大きな魅力のひとつ。

そんなモロが、親から投げ捨てられた赤子を哀れに思ったとしても、不思議ではないですよね。

山犬一族として森で育ったサンは、モロたちの価値観に触れたり、森側の視点から人間たちの行動を見たりすることで、自然と人間たちへの憎しみを育んでいきます。

やがて作中でのように人間たちと戦うようになり、人間でありながら、もののけ側で戦う「もののけ姫」となったのです。


引用:スタジオジブリ

ちなみに、モロがサンを育てた動機について、よく言われる他の考察はこんな感じ。

他の考察一例

  • 山犬として育てた人間の子を人間と戦わせることが、人間たちへの復讐の一端となるから
  • 人間の子に森の大切さを教えることで、将来的に森を守ろうとしたから

これらの説も否定するわけではありませんが、わたし自身は「哀れに思った」が1番しっくりきています。

可愛い娘に対し「お前は(人間だから)醜い」と直球で言うモロが、回りくどい手を取るとは考えにくいからです。※宮崎駿監督の言葉から参照

サンがアシタカに「そなたは美しい」と言われて狼狽えたのも、「山犬が最も美しく、人間が最も醜い(=人間である自分は醜い)」という価値観を持っていたからですね。

モロはサンを「人間として」育てた?

モロは森(自然)を守る勢力として、エボシら人間と戦います。

とくに頭領のエボシのことは、自身が首だけになっても食らいつくほどの激しい憎しみを抱いていました。

力尽き事切れていたはずのモロがギョロリと目を血走らせ、首だけでエボシの腕を食いちぎった場面は壮絶でしたね。

そこまで人間を憎むにも関わらず、モロはサンを「人間として」育てた様子です。

それはサンが、

  • 二足で歩いたり、駆けたりしている
  • 人間の言葉を話している
  • 面や槍、短剣などの道具を使っている
  • 服装や刺青、ゴテゴテした装飾品など、山犬ではありえない出で立ちをしている
  • 干した肉を食糧としている
  • 裁縫ができる(アシタカの敗れた服をつくろっている)

ことからも明らかです。

もちろん山犬としての誇りや矜持も教えながら育てたのでしょうが、服を着て二本足で歩き、道具を駆使する姿は人間そのものです。


引用:スタジオジブリ

お面や槍を作るのだって、かなり大変だったはず。

拾い物や戦利品と考えてもいいかもしれませんが、エボシたちや浅野侍たちの物とはデザインが違いますから、おそらくサンが自分で作った物でしょう。

人里から離れた時は赤ちゃんだったわけですから、あとからわざわざ方法を学んだことになります。

また、山犬になりたいサンが自発的にそうするとも考えにくく、とすると、これもモロの指示ということに。

なぜ、わざわざ手間をかけてまで、モロはサンを人間として育てたのか。

それは、サンが人間の世界を選んでも生きていけるようにという

母親としての、モロの深い愛情

からのことです。


引用:スタジオジブリ

子供の頃のわたしは「映画なんだし、ビジュアル的にそっちの方が可愛いからでしょ」と考えていましたが、浅はかでしたね(笑)

「身体的にどうしようもなく、仕方なしに」というのもあるでしょうが、本質ではありません。

アシタカには

「サンはもう我が一族の娘だ。」

と言っておきながら、サンに対しては

「お前には、あの若者(アシタカ)と生きる道もあるのだが…」

となだめています。

アシタカに言ったことは「そうしなければならない」という建前で、サンに言ったことの方が本心だったとしたら…

モロはサンを、然るべき時がきたら本来あるべき人間の世界に返そうと考えていたのかもしれませんね。

サンの実の母親=エボシ?噂を否定する根拠3つ


引用:スタジオジブリ

さて。母親であるモロに、厳しくも優しく、大きな愛情を注がれ成長したサン。

しかし、あくまでモロは育ての親であり、実の親ではありません。

人間である以上、サンには元々「人間の」親がいたはずですよね。実の親については、先の項でも少し触れました。

とすれば次に気になるのは、サンの実の親は作中に出てくるのか/誰なのか、ですね。

この記事を読むあなたはひょっとしたらご存知かもしれませんが、『もののけ姫』に関する噂に、次のものがあります。

『もののけ姫』に関する噂

サンの実の母親は、エボシなのでは?

一部ファンの間ではまことしやかに定着している都市伝説ですが、わたしは、「それはちょっと違うのでは…」と否定的に考えています。

エボシがサンの母親でないことの根拠を、わたしの考察も交えながら紹介していきますね。

エボシはサンをころすつもりだった

エボシがサンの母親でないことの根拠のひとつめは、

エボシはサンをころすつもりだった

ことです。

アシタカ滞在中に、サンがタタラ場を襲撃した一連の場面を思い出してください。


引用:スタジオジブリ

その際、エボシにサンを殺すつもりがないように見えることが「母親説」根拠のひとつのようですが、本当にそうでしょうか?

いいえ。エボシは、確実にサンをころすつもりでした。それも人間ではなく、山犬として殺そうとしています。

エボシがサンをころすつもりだったと分かる【4つの理由】を、時系列順に見てみましょう。

理由①アシタカとの会話「もののけ姫も人間に戻ろう」の意図

襲撃の少し前、夜のタタラ場でエボシがアシタカを「秘密の庭」に連れてきた場面です。


引用:スタジオジブリ

この時新しい石火矢の試し撃ちをした際のアシタカとの会話で、エボシの気になる台詞があります。

古い神がいなくなれば、もののけたちもただの獣になろう。森に光が入り、山犬どもが鎮まればここは豊かな国になる。もののけ姫も人間に戻ろう

この台詞から、「エボシはサンを人間に戻してやろうとしている」ととらえる意見がありますが、実は少し違います。

本当の意図はこうだと、わたしはとらえています。

「もののけ姫は、とうに山犬になり果てている。だが骸になれば、ただの人間でしかない」

つまりエボシは、

「生きたまま人間に戻ってほしい」ではなく、「ころせば人間に戻る」と言っている

のです。

理由②女たちや石火矢衆に、石火矢で狙わせた

「もののけ姫、聞こえるか。私はここにいるぞ。」の場面です。

エボシはこの時、自分を囮にサンをおびき出し、出てきたところを石火矢で狙わせています。

これはもう、確実にころすつもりですよね。

石火矢の威力は作中でも何度か強烈に描写されていますが、一番分かりやすいのはアシタカが撃たれた時ではないでしょうか。

アシタカは呪いの力で辛うじて生き延びるものの、傷口と出血量を見れば威力は一目瞭然です。

そんな石火矢を何本も用意し、エボシはサンを狙わせました。

自分で撃って外しているなら確かに「ころすつもりがなかった」とも取れますが、エボシが射手に選んだのは、【手練の石火矢衆】【夫を喰われ復讐を誓った女たち】です。

当てる可能性のかなり高い人選ですね。

しかも、石火矢の集中砲火で破壊された屋根から転がり落ちるサンを指し、エボシはこう言います。

首だけになっても、食らいつくのが山犬だ

エボシは物語の最終局面、首だけになったモロに腕を食いちぎられるからなんとも皮肉ですが、要するにこの台詞の意図は、

「山犬相手に油断は禁物。確実に息の根を止めるまで、気を抜くな」

ということです。

この直後、エボシの号令で放たれた石火矢のひとつが、サンの面を撃ち砕きます。

たまたま気絶しただけで済みましたが、少しでも的がずれていたらサンの命はそこまでだったはず。

そうでなくとも気絶した時点で、サンの敗北は確定。

アシタカの力ずくの制止がなければ、ゴンザらに囲まれ為す術なくころされていたでしょう。

このときエボシは、サンに勇み駆け寄るゴンザたちを止める素振りを一切見せませんでした。

理由③エボシとサンの一騎打ち

一番の問題である、エボシとサンの一騎打ちの場面。

全力で打ちかかるサンをエボシが軽くいなしていることから、実力は【エボシ>サン】と見られます。

が、エボシはすぐにサンをころしませんでした。


引用:スタジオジブリ

これは、エボシが娘であるサンを直接手にかけることを躊躇ったということでしょうか?

いいえ、そうではありません。

状況を思い出してみましょう。

エボシがサンを直接手にかけずとも、サンの敗北はほぼ確定しています。

  • サンは単騎で攻め込んだため、タタラ場内部に味方がいない
  • 周りを囲まれ、逃げ場がない
  • 奥には石火矢衆も控えている
  • タタラ場の者たちの中に、もののけ姫を助けようとする者はいない

アシタカがどう動くかの懸念はあるにせよ、この状況がひっくり返る可能性はかなり低いのです。

しかもこの時点でエボシは、アシタカや呪いの力をあなどっています。

エボシがアシタカと呪いを侮っていた根拠

  • 「曇りなき眼で見定め、決める」と聞いて笑った(綺麗ごとを言う、世間の闇を知らない若者だと笑った)
  • タタリ神を「呪う相手さえ見誤る、愚かな獣」ととらえている(エボシの台詞「愚かな猪め。呪うなら私を呪えばいいものを」より)
  • タタラ場でサンに退却を説得するアシタカを捨て置いた
  • タタリ神の呪いを「わずかな不運」と言った

アシタカがどう動こうが「所詮何もできまい」と高をくくっていたのかもしれませんね。

少し逸れました。話を戻しますね。

エボシがすぐサンをころさなかった理由ですが、わたしはこう考えています。

  • 「いつでも討てる」という余裕の表れ
  • タタラ場の者たちの士気をあげるため

そもそも、サンがタタラ場に単騎での無謀な攻め入りをしてきたのは、エボシたち人間の勢力に、山犬一族が押され気味であるという背景があります。

  • ゴンザが「(山犬一族が)よほど追い詰められたと見えます。」と言っている
  • エボシの台詞「お前(サン)が一族の仇を討とうというのなら、」から、すでにサンやモロ、モロの子2体以外の犬神が、数体エボシらに討たれたと推測される

エボシからすれば、もののけ姫を討てばまた一歩森の制圧に近づけるだけでなく、タタラ場で戦う者たちの士気もあがります。

「山犬などいつでも討てる。恐れる必要はない」のだという余裕を見せれば、戦場において命取りとなる「恐れ」を払拭してやれるかもしれません。

エボシは何よりもタタラ場の者たちを一番に考えていますから、これもまた、彼らを守るためのエボシの策のひとつだったのではないでしょうか。

理由④アシタカの台詞「そなたの中には夜叉がいる」の意味


引用:スタジオジブリ

さらに、エボシがサンをころすつもりだったことの裏づけは、アシタカのこの台詞です。

そなた(エボシ)の中には夜叉がいる。この娘(サン)の中にもだ

「夜叉がいる」とはどういう意味でしょう?

手掛かりとなりそうなのは、直後のアシタカの台詞です。

みんな見ろ!これが身の内に巣食う憎しみと恨みの姿だ。肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪いだ。これ以上、憎しみに身を委ねるな

アシタカのかっこいい名場面のひとつですね。

ですがこのことから「夜叉」とは「憎しみや恨み」、ひいては「相手を殺してやるという狂気」のことを指していると推測できます。

ということはサンがそうであるように

エボシもサンを憎み、ころそうとしている

ということ。

タタラ場の者たちが何人も山犬に食われているのですから、当然と言えば当然ですね。

「可愛さ余って憎さ百倍」から、我が娘すら憎んでいる状況も考えられなくはないですが、少なくとも「エボシにサンをころすつもりがなかった」ことについては否定されます。

これら4つの場面から、

エボシは確実にサンをころすつもりだった

ことがいえるでしょう。

「エボシ=母親説」を否定する根拠のひとつめです。

モロがエボシを憎む理由は、母親とは関係なさそう

モロは、なぜエボシをあれほどまでに憎むのでしょう?

モロはエボシを「頭を嚙み砕く瞬間を夢見」るほどに憎んでいます。命を落としても尚その恨みは衰えず、首だけになってまでエボシをころそうとしました。

モロがそうまでエボシを憎むわけが、「サンを捨てた人間がエボシであると知っている」からだとする意見があり、「エボシ=母親説」の根拠のひとつとなっています。

ですがそうでなくとも、モロがエボシを憎む理由は十分にありますよね。

  • 身勝手に森を奪おうとする
  • 一族の仇である
  • 火や石火矢を使い、度を越えた侵略をしてくる
  • シシ神の首を狙っている

シシ神の森には犬神・モロをはじめ、猿神・猩々たちや、猪神であるナゴのかみ(アシタカを呪ったタタリ神)などの古い神々が共存し、シシ神を守ってきました。

その森をエボシたちが、人間の都合で身勝手に侵略し、かつ同胞を数多く葬っています。

これではモロがエボシを憎むのも当然と言えるでしょう。

「敵対する二大勢力の頭領が、娘の因縁から憎み戦いあっている」とは劇的で格好いいですが、モロとエボシの間には当てはまりません。

モロに限らず、猩々たちやナゴの守、さらに乙事主も同様に、エボシをかなり憎んでいました。

モロだけが持つ憎しみというより、森全体の総意と言う感じがします。

エボシの人物像や価値観から考えて、赤子を生贄にはしない

サンを捨てた親の人物像を、前項にて考えてみました。

サンを捨てた親の人物像考察

  • 森を侵す、モロたちにとっての「敵」
  • 自分が助かるためなら赤子の命も惜しいと思わない、非情な人間

とくに2つ目ををエボシの人物像と比べた時、なんだか違和感を感じませんか?

仮にサンがエボシの娘だとして、エボシは我が身可愛さに娘を捨てるでしょうか?

あのエボシが、モロを恐れて?

『もののけ姫』を何回か観た方であればあるほど、「ん~?」と思うところだと思います。

作中でのサンは15歳ですから、赤子の時というと14~15年前。それだけエボシも今より若かったのですから、昔と今で人物像が違ってもおかしくはないですが…

宮崎駿監督の言葉から、エボシは昔から度胸のある女性だったようなので、やはり人物像のずれは否めません。

悪路王をしずめた立烏帽子という絶世の美女の伝説があるんですが、実は私の山小屋がある村が烏帽子といいまして(笑)。案外、出発点はそのあたりだったりするんです。

海外に売られて、中国人の倭寇の大親分の妻になって、腕を磨いて、あげく男を殺して財宝を奪って、戻ってきた女とか(笑)。

引用:宮崎駿著書『折り返し点』

「エボシにとって、サンは憎かった男との間にできた子。だから捨てるのも惜しくなかったのでは?」

との考えが母親説の根拠のようですが、エボシはタタラ場で【売られた女たち】や【業病に苦しむ者】【牛飼い】など、立場の弱い人間に慈悲深く接する人徳者です。

たとえ憎い男との子だとしても、赤子を捨てるとは考えられません。

また、エボシは近代的な考え方をもつ女性で、掟やタタリもあまり気にする性格ではありませんでした。

森を侵されたことに怒り狂ったナゴの守やモロ、さらにはシシ神にさえ石火矢を放つ豪胆さは、それを裏付けます。

引用:スタジオジブリ

掟もタタリもへっちゃらな、怖い人よ

前述したものと重複しますが「生贄をささげれば神々の怒りは鎮まる」と考えるようなエボシではありません。

エボシとサンを捨てた親は同一人物でないことは、ほぼ間違いないでしょう。

以上3つの理由、

  • エボシはサンをころすつもりだった
  • モロがエボシを憎むわけ
  • 人物像や価値観の相違

から、

エボシ=サンの実の母親説」は、ただの噂で、事実ではない

ことが考えられます。

まとめ:サンが捨てられた理由は、親から身代わりにされたから

引用:スタジオジブリ

この記事に書いてあったこと

  • サンが捨てられたのは「親がモロから逃げる時、身代わりにされたから」。
  • モロは捨てられたサンを哀れと思い、娘として育てた。
  • 「エボシがサンの母親である」とは、ただの噂で、事実ではない。

いかがでしたか?

ちょっと熱が入りすぎて、ボリュームが大きくなってしまいました。

『もののけ姫』は、ジブリの中でも特に人気の高い作品のひとつ。

来たる7月14日には、金曜ロードショーでの放送も控えています。

何回も観たけど、やっぱり楽しみ♪

この記事を参考に、あなたなりに深く、もっと深く『もののけ姫』を楽しんでみてくださいね。

どれだけ潜っても飽きないですよ(笑)

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